「作品」とプラ板

ほぼ日で「作品大賞」なる企画を開催、作品を募集している。

芸術と大量生産品のあいだに「作品」というものがある。

というのがここでいう「作品」というわけで。これはたいへん面白い。作り手の姿が見えていて、見えすぎないで。いいもので、でも使ったり愛でたりするもので。それなりのお値段はするけれど、手の届かないほどではない。とても気持ちのよいスタンスに見えるし、こうしてほぼ日が積み重ねてきたものに「作品」という名を与えたのも、とても気持ちよい。
とはいえ

小説、マンガ、音楽、映像作品など、「ソフト」に当たる作品は今回の募集の対象外とさせていただきます。

というわけなので、もしこの賞に応募したければ何らかのモノを作らなければならず、ここで基本的に技術も経験もアイディアも(正直そのような切実な欲求も)ない私自身は参加できないことになるのだけれど、仮に、仮に「とはいえ何か作りたいんだ!そして応募したいんだ!」となればいったいどんな手が、どんなモノがあるだろう?とさっき考えていて、ふと思い当たったのが「プラ板」だった。
ペラペラプラスチック板に油性ペンで絵を描いて、それをオーブントースターで焼いて、凝縮、厚くカチカチに。幼稚園〜小学校低学年ぐらい?に、周囲のみんなやっていた記憶がある。ちなみに私の記憶では友達の誰某がやっていて「僕も」…というのでなく、ある日両親にプラ板とマッキー10色を買い与えられたのが発端だった気がする。ので、教育的ニュアンス工作のポピュラー物件のひとつだったのかもしれない。
何故か別にそんなに好きでもない鬼太郎の絵ばかり写しまくってたとか、縮んで丸まってくっついちゃって涙とか、自分で作ってそれなりに飽きていった思い出もいろいろあるんだけど、なんか記憶に残っているのは、友達が黒マッキーだけで描いたシンプルなスライム(ドラクエ)のプラ板。これがすごく小さくて(小指の爪ぐらい)モノとして妙に魅力的で、頼んで、もらって、しばらく大事に筆箱にしまっていた。
プラ板を本気でつきつめていったら「作品」にならないだろうか。手作り感があって、かつチープにならないラインで。軽さも価格も存在も、なんかチャーミングないいモノになりそうな気がするんだけれども。「プラ板作家」さんっていないのかなあ。いてもよさそうなものだが。
ちょっと検索してみたら、ヨシダプロさんがやってた。やってたのがヨシダプロさんというところにすごく納得できる。男子的。懐かしいー。穴は大きめに!