見ることのむなしさと見えないことのわびしさ

月蝕見れた。路傍に突っ立ってぼうっと眺めていたら隣にやっぱりぼうっと立っていたおばあちゃんが話しかけてきた。見えないねえ、と彼女は言った。いえ、見えますよ、と私は言った。どこ?ほら、あのへん。そこの松の木の上?そう、そうです。雲の中でしょ?いえ、今、雲と雲の間にありますよ。ほんと?ええ。ああ、眼鏡を持ってくるんだったわ。
私に見えるものがこのおばあちゃんには見えない。その居心地の悪さ。わびしさ。差。褐色の月を数分間見てたら飽きた。むなしさ。リアルな体験って結局のところなんなんだろう。結局はどんだけ想像のオカズになるか、ってことなんだろう。でも時間はいまんとこ(たぶん私が死ぬまでは)不可逆に進むだろうから、かたっぱしから忘れてしまわなければ今がつまらなくなってしまうな。ああ、あれもこれもぜんぶ忘れてしまわなければ。完全に忘れられないことはわかっているのだが。球技大会のときのあのパス。体育のときのコーナーキック。学食。黒電話。教室。階段。カーテン。講義室とロビーと講義室とロビー。■■。
久々に一人で晩酌したらいろいろ思いが馳せちゃってよくない。腹減った。ごんじりうめえ。ねる。