リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』

藤本和子訳。現代の日本文学に広範な影響を与えているということらしい本書。ブローティガンは2冊目。
突飛な比喩が舞う奇妙な掌編の小気味よい連続に、読後はとっても気持ちよく、さわやかで、「ああー、かっちょええなー」という印象。けれど正直、あまりにわけがわからなすぎて、読み進めるのがしんどかった。以前読んだ『芝生の復讐』はまだ、ひとつひとつが独立してバラバラな短編集だった(と認識して読んでいた)が、本書は短編の集積然としていつつもいちおう「アメリカの鱒釣り」というテーマというかモチーフが貫かれているので、そこにつながりを求めようとしてしまいがちになり、ますますわけがわからなくなり、しんどい。
奇想天外な展開や語り口のおもしろさを味わおうとはしているのだ、しているのだがそれでもなお「しんどい」ということは、私が意味だけを追いながら小説を読んでいるというその態度を浮き彫りにする。巻末、柴田元幸の解説によれば柄谷行人『意味という病』の刊行は1975年だそうな。私が生まれるだいぶ前である。こんな態度は捨ててしまいたいと何度も何度も願い、意識もしているが、なかなか捨てられないもどかしさを感じている。ああ、なんてつまらないんだろう私の読書は。これはもう、スポーンと脱ぐことはできないのかもしれない。じわじわと一枚ずつ脱いでいくしか。

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)