北村文 阿部真大『合コンの社会学』

友人にすすめられてさらっと読了。合コンの矛盾を抱えた構造、すなわち「出会い」が明確な目的であることを誰もがわかっていながら、それを全員で協力して隠蔽・偽装するのだという話。なぜなら、出会いは運命的でなくてはならないから。理想的な相手ではなく、そこにいたるまでの物語が必要だから。ああ、自分が結婚した理由とまではいかないけれど、「結婚してよかったなあ」と現時点で思っている無意識な根拠の一つにこのへんは該当するかもしれないなあ、と思った。
この「物語」というやつはなかなか面白い(友人がすすめてくれた理由もそれだった)。それは自分自身を納得させるためと考えることができるけど、それよりも誰かが「鈴木はこれこれこういうなれそめで結婚したのだそうであるよ」「へーえ」「へーえ」みたいな、他人とのかかわり合いに重きがおかれたもののような気がする。みんなそれがほしい。本当のところはそうじゃなくって、直裁的に出会いを求めた合コンだったのに、結婚式では「友人のご紹介」になって、みんなわかっているのにもかかわらず全員偽装の共犯である。そもそも、合コンではなく「飲み会」。隠蔽と偽装。
「物語」と言えば聞こえはいいが、こんなの「茶番」と言ってしまえばそれまでだ。それの追求に費やす人生なんてくだらない。けれど、その茶番の上にこの人生の豊かさなるもののほとんどが乗っかっているのだと思うと愕然としてしまう。一切の茶番をぬきにした、本当だけの社会と生活と人生なんてものが果たして可能なんだろうかね。それってほんとうに楽しくて豊かな人生なのだろうかね。そもそも「茶番」と言ってしまう視点を持つこと自体が不幸なだけなんだろうかね。だったら本書の、大仰に言えば社会学の意義って、いったいなんなんだろうかね。
あとがきによれば、社会学の(少なくとも本書の)目的は、社会の事象を一般的な視点からちょっとずらした角度を提示することなのだそうであるが、そんなのきっと社会学に限った話では全然なくって、そんなこと、がんばって言ってみなくてもいいのに、と思ったらがっかりした。
「運命の物語」志向と「三低」志向が、「やりたいこと志向」と「公務員志向」に対応しているという視点は面白かった。あー、たしかに自分、ゆらゆらこの間をゆれてるわ。…この枠組み自体が物語?だったら俺のやってることって?あー、なんだかわかんなくなってきた。やめやめ。こういうの読むのやめやめ。

合コンの社会学 (光文社新書)

合コンの社会学 (光文社新書)