JJプレイ

何かを始めようというとき、何かを成し遂げようというとき、何か習慣化したいことがあるとき、有効な手段として昨年暮れより「とにかくタスクのハードルを下げて細切れにしてみる」ということを実行し、今のところ淡々とうまくいっているような状態なのですが、もう一つポイントがありそうだということを最近考えている。それがJJプレイ。言うまでもなく「自分じらしプレイ」のことである。
自分をじらす。「○○がしたい!」という思いをぐっとこらえて、放置。手をつけない。何もしない。何も実行に移さない。そのかわり、考える。○○をすることで得られる未来像と、具体的なタスクとしてどの程度まで落としこめるか(ハードルを低く出来るか)じっくりとじっくりと、その思いが発酵しガスが発生して密封容器の封を切るそのときまで。じらしまくり。
どんなに低いハードルでも、自ら能動的に選び取るのでなくしては身につくものも身につかない。捨てる技術の話ではないけれど、どんなに資料や本やデータを集めようとも数多の経験をこなそうとも、自らの血肉とならなければ意味がなく、「○○をやった」ということが会話のタネになるだけで、そんなものことは始めから手をつけないほうがよいのだと思う。有限な人生で。楽しけりゃそれでいいってな部分もあるけどな。その場合の血肉は「他の誰かをも楽しくさせられるようになる」かな。
そんなんで今日もJJプレイを実行中。痩せたいけど我慢だ。