耳をすませば

ずっと観たくて、ずっと避け続けてきた作品。
高校時代、同級生が所属する合唱部(母校では音楽部という名だった)の定期演奏会、小樽のマリンホールに遅れて入場した私は、ちょうどお楽しみステージ的な時間帯の、めいめいが楽しげなコスチュームに身を包み合唱する場に居合わせた。真っ赤な夕暮れの照明を浴びながら

行かないさ 行けない カントリー・ロード

と歌われた瞬間、私の涙腺は決壊してしまい、そのことにひどく驚きうろたえてしまったったのである。がんらいフィクション作品で涙することなどまずなかった当時の私にとって「歌を聴いて泣く」というのはこれが初めての経験だった。それも知らない初聴の楽曲で。
それ以来、ずっと観たくて、ずっと避け続けてきた作品。


いい作品だと思ったけれど、もう今後、こういう作品を俺は観るべきなのだろうかとか、躊躇してしまうほどに青春だった。中3。夏服。郊外の住宅街。教室。狼狽と前進。自転車のブレーキ音は、あの人のではない。ああ、耳をすませばなんだな。

以下、魅力を感じた気づきメモ。

  • 光の演出(時間帯がコロコロと動く)
  • 呼称の変遷(フルネーム呼び捨てからファーストネーム呼び捨てへの移行)
  • 頬の赤らめ方(あのぐらいやっちゃっていい作品がある)
  • 物語のゴール地点の潔さ