ストップ・ザ・シーズン・イン・マフラー
札幌は今週に入ってグッと気温が下がってまいりました。皆さまの暮らす地域では如何でしょうか。私は夏の間にアウトレットで購入していた毛足の長いフリースを着て出勤しております。ファスナーをマックスまでキュッと上げると、襟のモコモコが首をやさしく包み込みたいそう暖かく、がしがしと歩く帰宅時にはやや汗ばむほどです。首を温めることは、防寒対策としてはまさに王道。モコモコ襟しかり、いわんやマフラーをや。
そうです、今年も待ちに待ったこの季節がやってきました。いまさら明言するまでもないとは思いますが、「マフラーしまい髪」のシーズン到来であります。
毎年、毎年、毎年申し上げているように、私は女性の髪の毛がマフラーの中に格納されている状態を心底好んでおります。好きの理由を改めて書きつけるのも野暮な話ではありますし、自分でも厳密にはわかりかねる部分もあるのですが、昨年までの自分の記述や春夏秋冬めぐらしてきた思念などを統合するに、この「マフラーしまい髪」が女性の「本音」を想起させ、ひいては「ギャップ」を生みだす付加情報を与えていることが大きな要因なのではないかと考えるに至りました。
と申しますのも、私は以前「マフラーしまい髪は故意の沙汰ではない=油断」と短絡的に捉えていたのですが、どうやらそうではないことがわかってきた。すなわち「防寒目的、またはその他の理由(髪がボワッとなるのを避けるためetc.)によって、故意にマフラーしまい髪としている」ケースも相当数あると知ったわけです。これは当時の私にとって小さくない驚きでした。しかしながら私にとって「マフラーしまい髪」はなんら輝きを失わず、むしろ輝きを増したのです。
なぜか。意図のあるなしにかかわらず、そこには厚い冬服に身を固めた彼女たちの「本音」が顕れているからであります。例えば、パリッとしたかっちょいいコートでシャンシャンと歩く女性の髪が「故意に」マフラーへしまわれていたのだとすれば、かっちょよくしようとしている彼女が「そこだけは“実”をとった(防寒であれ、髪の乱れであれ)」と解釈することができるでしょう。逆に「意図せざるもの」だったのだとすれば、それは「油断」と言えるかもしれず、それはそれで万々歳です。このように、油断やスキといったことよりも広い意味範囲を持つ「本音」、そしてその「本音=マフラーしまい髪」と「建前=その他の服装や表情」とのギャップが、彼女たちの姿にグッと奥行きを与え、人々を惹きつけるのではないでしょうか。
さらに、「マフラーしまい髪」には複数のバリエーションが存在します。「もう何が何でもしまったるわい!」と言わんばかりに髪が脇目もふらずマフラーの内側へ直行しているパターン、「入っちゃってるけど?」ぐらいのニュアンスでクシュッとフワッと入っているパターン、「うっかり」的に毛束の一部だけが入っているパターン。ここに髪の長さや髪形、ストレートかウェーブかといったファクターが掛け算され、さらに髪の長い女性の場合は「マフラーの下に髪が露出している」か「コートの襟の中に回収され見えない」か、といった変数も加わります。さながら万華鏡のように多彩な表情を見せる「マフラーしまい髪」。これもまた、想像力の翼を大いに広げさせてくれる要因であり、魅力の大きな由来であると言えましょう。
札幌は雪虫が散見されるようになりました。もうすぐ雪、そうしたらばあっという間に厳しい冬が街を包むでしょう。ですが決して悲観することはありません。道ゆく女性らの寒さに身を縮めるような歩き姿は、よりいっそう「マフラーしまい髪」の魅力を引き立てることでしょう。ここはひとつ、イヤホンでネイティブダンサーでも聴きながら「マフラーしまい髪」観測に明け暮れようではありませんか。春は遠いのですから。