継続のために:取り戻すのは「目標値」ではなく「リズム」

年初に目標を立て、それを月次ブログで振り返るということを一昨年から行っている。で、今年はわりと(いまのところ)うまくいっていて、それがどうしてなのかを考えてみた。淡々と続けるためのメモをいくつか。

目標の設定はできるだけシンプルに、軽めにする。

大きな夢を見るのはいいけれど、そこんところをぐっとこらえて「そんな楽なこと、楽すぎてやりごたえがないよ」ぐらいから始める。

お膳立ては大切。

モチベーションの維持は大事だけど、それが根性論になってはいけない。なぜならば「我慢」が先立つと「卑屈」が生まれてくるので。てなわけで、自然と続けられるような事前準備、お膳立ては大切。禁煙にあたりライターとタバコと灰皿を捨てちゃう、みたいな。教材を常に持ち歩く、みたいな。

見切り発車も同じくらい大切。

ただし、お膳立ての時点でまごついてばかりじゃ始まらない。「キリよいとき(例えば月初)から!」というのはよろしくない。「今だ!」って思ったときが始めどき。気持ちが高まっているのにキリのいいタイミングを待つなんて百害あって一利なし。すぐやるべし。

やることを増やさない。

初期はモチベーションだけでいける。だからあまり気をもむ必要はないけれど、モチベーションの盛り上がりに任せて「やりすぎる」のはよくない。欲張らずに、楽な量を、淡々と。まずはリズムを作ることが肝要。

レコーディングする。

これは振り返りの手がかりになるし、後述する「リズムを取り戻す」ための良い助けになる。ただし、できるだけ記録項目をシンプルに。完璧主義は捨てる。レコーディングは目的ではなく手段であるし、手段の負担が目的を阻害してはいけない。

自分で自分のことをコントロール快感を知る。

先日読んだ『夢をかなえるゾウ』の序盤に登場する教えに「食事を腹八分におさえる」というものがある。これはすなわち、自分をコントロールすることを覚えよってことなんだけど、

食べたいと思ても腹八分で必ずおさえるんや。そうやって自分で自分をコントロールすることが楽しめるようになったら、生活変わってくるで
(P47)

これが、俺にとってはなかなか新鮮な発見。自分の欲望をコントロールしている自分って「自由を得た!」みたいで快感だ。「我慢している」という気持ちに陥る手前で「自分の心身を意のままに制御している、そのこと自体」への喜びを意識する。

取り戻すのは「目標値」ではなく「リズム」。

これこそが、もっとも大切な意識。
平時にリズムをキープできても、やむにやまれぬ突発的な出来事が起こったり多忙な時期に突入したとき、どうしたってリズムは崩れる。これはしょうがない。
で、無理に取り戻そうとしないこと。例えば今月の目標が半分にしか達していないとして「来月は今月の倍がんばらなくちゃ!」とは思ってはいけない。その意識は行動の重石となり、どんどん膨れ上がる。
「目標値を取り戻そう」としない。焦らない。そのかわり「リズムを取り戻そう」はOK。涼しい顔で、遅れをとったことなど忘れて、再びちょっとずつ、ちょっとずつ。続けていることそれ自体に快感を覚えられれば(それが自己陶酔だって構わない)、後は進むだけである。

無理しない。

ありていだけど。「リズムを取り戻せばいい」という気持ちがあれば、無理せず休める。戻せると思えば、安心して中断できる。その気楽さが、行動を軽くする。リズムができていればこそ、自らの異変に気づくこともできれば、取り戻すこともできるのだ。


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いまのところはこんなところ。なんたってリズム、リズム、リズム。目の前の現実を無視せず悲観せず、淡々とルーティンに、儀礼にのっとる。コントロールのコンティニューをうまくコントロールすることをコンティニューして(というようなほどよいメタ目線を保ちつつ)いきたいものです。やせたい。


<参考>