ナオミ・クライン『ブランドなんか、いらない 搾取で巨大化する大企業の非情』

原題は『NO LOGO』。こっちのタイトルの方が手短でグッとくる。日本語にしづらい部分ではあるけれど、この邦題でもわかるけど、もうちょっとインパクトがあり、口から口へと流通しやすいタイトルであればもっとたくさんの人に読まれただろうになあ。
さて。ハードカバーで二段に分かれた400ページ。遅読の私にはしんどいかと当初思われたが、数週間毎日通勤鞄を重たくして地下鉄で読み耽った。面白い。めちゃくちゃ面白い。訳者あとがきにもあったが、まさしく「腑に落ちる」感じの連続。
ブランドに囲まれて、色んなものことが企業のビジネスとくっついていて、好きなブランドはあるのだけれど、なんだか腑に落ちない違和感をずーっと抱えていて。そこんところが「これこれこうだから違和感あるんだよね」と言われて「あー!そういうことか!わかるー!」と腑に落ちる。その連続。ノースペース、ノーチョイス、ノージョブ。だからノーロゴ。資本主義云々の話じゃない。友人のように政府のようにふるまってくる企業の言いなりにしかなれないなんて(それに気付もしないなんて)ごめんだ!
けれど同時に、「広告」と「広告でないもの」の混ざり込み(それは世間的にも自分の心理的にも)は確かにあって、それを楽しんだりしている部分もあって、やはり自分はブランドが好きなのであって、広告を仕事にしたいとすら思っている。いち生活者としての、その辺の折り合いをどうつけてゆこうか。まだわかっていない。本書は後半、企業の「搾取工場」の問題にぐぐっとシフトしてゆき、「だからブランドはいらない」と運動が広がったことに紙幅を割いているけれど、私の問題意識はむしろ前半、公共空間の私有化、選択肢のなさ、「どうしてあいつはよくて、こいつはダメなんだ?」というあたりへの違和感にある。
本書の出版は2000年(邦訳は2001年5月)。話は90年代が中心だ。その頃私は、世の中が(海外が)こんな風に動いているなんて全然知らなかった。こんなんじゃダメだ。ネットもあるんだし、広く目を向けないと。で、2008年の今、本書と比べて何がどうなってるかをきちんと見極めないと。これはリアルに自分の生活の問題である。数万円の正当なTシャツを、私は自然に買えるだろうか?
既に有名な本でもあるのだろうけど、未読の方にはぜひともご一読いただきたい本書。はまの出版が倒産してしまったため、現在買いにくくなってるっぽいです。どこかからの再販を強く望みます。私の周りの方、興味あったら声かけてください。喜んでじゃんじゃん貸します。

ブランドなんか、いらない―搾取で巨大化する大企業の非情

ブランドなんか、いらない―搾取で巨大化する大企業の非情