こういうものだ。は、ない。

ここ最近考えてる青臭い自戒メモ。社会人になって数年あまり、一番下っ端の若造気分で(実際そうで)随分と気楽に仕事をしてきたのだけれど、20代も半ばを過ぎて色んな意味で個として立たなければと思っている今日この頃、なにごとも自分で判断できないことへの歯がゆさがつのってきて、なおかつ自分がその判断すること自体に対して非常に腰が引けているという態度も自覚してしまい、これはどうにかせねばならぬなあと悶々としていた。
で、ある日の入浴中にふと浮かんだのが表題のフレーズ。「こういうものだ。は、ない。」だった。あー、そういうことなんだ、と自分で思った。若造であり専門的知識にも乏しく「何者でもない」という意識ばかりが先立っていた私は、先人たちがやってきたやりかたや方法論や前例やセオリーすなわち「こういうものだ。」がどこかにあるに違いないからそれを知りたいとばかり思っていたのである。
知りたいだけならよかったのだが、「それを知らないことには仕事にならない」と思い込んでいたところに私の問題があった。判断の根拠を外部のナニモノかに求めようとばかりしていたその態度は決して真面目さでもなんでもない、ただの怠慢で責任転嫁で思考停止である。
これはこうである、という判断の絶対軸などたぶんない。「こういうものだ。」は、ないのだ。そのような幻想を追うのではなく、知識がないならないなりに自分のこれまでの経験と他分野含めた知識と感覚とを総動員して判断をするべきである。そのとき、後ろめたく思う必要も卑屈になる必要もなく、謙虚さを大切にしながら、そのときどきの自分の判断に自信を持ってよいのだと思う(ただし、他人を納得させることができる、と自分で納得のできる根拠をきちんと持った上で)。そうして自分なりの判断軸を徐々に作ってゆけば、それが自分の仕事の軸(「けものみち」的な?)にもなろう。ひいては仕事観生活観人生観含めて。
要は「自分に自信を持とうぜ、そのためにきちんと自分で自分の責任を取ろうぜ、いい子ちゃんぶってうまく立ち回ってたってダメだぜ」って今更過ぎる当たり前のことなのだけれど、わかってるつもりでできていなかったことなので敢えてイマシメモ。個人的にこのことが明確になって、ぱーっと視界が広がり身軽になり背筋が伸びて、かなり気持ちが晴れ晴れしている今日この頃。裸でいるって清々しいなあ!