どっちにしても、おもてなし。

秋山晶の言葉はコピーだからよいのであって小説だったら読めやしない。無駄が無さすぎて疲れてしまう」と、某講座にいらした某御仁が酒席にて仰っていた。
なるほどたしかにそうかもしれないなあ、と思う反面、しかし、やっぱりコピーも小説も根っこの部分なんかは共通してるんじゃないかなあ、と思う。上っ面の表現じゃない、どっしりと芯を食った部分にたどりつくためのアプローチや、読み手に気づきを与えるための表現や。
ただ、コピーは「新しい価値観」を比較的「明示的に」表現(または、提示)するのに対し、小説は「暗示的」に、ごろっと生々しいまんま転がして見せて、どないや、みたいな。あとは長さと冗長率、読み手の物理的条件よな。
うーん、いまんとこ自分の中ではこんくらいの線引きでよさそうだ。どっちにしても「文章はおもてなし」(by重松清、らしい)。そいつを忘れずに、whatをぎゅううっと考えながらhowを死ぬほど模索しながら、まずはたくさん書くべし、書くべし。