intro『ことほぐ』

6/3sun15:00-@コンカリーニョ。前作『言祝ぎ』からの、本作。最近introばっかり観すぎてるな俺。


おはなし自体は、賛否わかれて当然といった印象。ひとごとのように楽しめる人もいれば、そうでない人もわんさかいるだろう。でも、そんなの、どんなおはなしだって程度問題でしかないよねとも思う。とはいえ「ずんどこダメダメ協奏曲」みたいな方向性、町田康みたいな理不尽と不条理の畳みかけ、個人的には嫌いじゃないが、人を誘うのは憚られる。ひとり密やかに味わう類の苦み、えぐみがある。イトウワカナは本作のことをどこかでコメディだと表現していて、それはその通りなのだが、私は笑えなかった。でも面白かった。


かつての私は演劇の、生の舞台の魅力について「それがなくなっちゃうから」みたいなことをぼんやり思っていたし言っていた。かつてより演劇のことをそんなに特別なものとして感じていない今は、例えば「目の前にいる生身の俳優の本気を目撃できること」と千年王國を観て書いた。
今回のintroを観て考えたのは「緩急」について。映画であれば編集で実現されるであろう部分の、リニアな身体を用いた表現。映画監督が観客のリニアな時間を支配する点において権力と責任をもつのだとすれば、演劇作品はやはりリニアな生身の俳優のからだや裏方さんも含めてリアルタイムに進行する現場の段取りによって、観客の時間に寄り添う。そこに特別な、親密な関係性を観客は(ときに擬似的に/とくに一幕物では)感じ取り、魅力として理解するのではないか。
「舞台上で寝転がる」ということを、緩急の緩を、じっくりと使う本作の演出にそんな感じのことを思った。


ちなみに、作中でキーとなる「北海盆唄」、おれ、子どもの頃は「大人の部」しか知らなかった。小樽では子どもの部を聴いたことも踊ったこともなかったですよ。ちゃんこちゃんこちゃんこを知ったのは札幌来てからなんとなく、ではなかろうか。
(…って記憶に自信がなくて検索してみたけど、やっぱそうですよね?ですよね?


あー、帰りに台本買うの忘れた。