己の浅さに向き合う2

会議を終えて考えた。やはり私の言葉は浅い。考えは浅い。表層的な興味や笑いは取れても、奥深くまで届かない。深くなければ残らない。もう一度、繰り返し触れたいと思われない。
1年半経ってなお、その浅さが悔しい。
おそらく私は考えている量が足りない。
思考量を効率よく増やすには「ふだんからの思考量」と「ここ一番、お題を与えられた際の思考量」のどちらもバランスよく増やさなければならない。ふだんどう生きているかが言葉には必ず顕われてくるし、締切間近の粘りもまだまだ足りていない。
かける時間もそうだが(細切れ時間、何かに出会った都度都度の思考の蓄積だ)、そこに柔軟な角度が、立体的な仮説と検証が足りない。
考えるといっても、論理の組み立てだけでなく、感じ方も含めての。

コピーを書く時誰かに取材をしますか、という質問をされる。もちろんしないわけはないのだが、誰にいちばん聞くか、と問われれば、これは圧倒的に自分なんですね。自分に取材する。
(『何度も読みたい広告コピー』P15/岩崎俊一)