やせるリスト

リストのチカラってすごいなあ。わたしもぜひともあやかりたい。漠然と痩せたいいわたし。けれどなぜわたしは痩せたいのか。なぜ痩せたいと思っているのか。そんなモチベーション維持のためのリスト。

かっこいいズボンをはきたい
シュッとしたズボンをはきたいがはけない日々が続いている。入らないし、入っても苦しい。子供の頃からお尻がでかいわたしはそのせいだと思っていたけれど、ことここ数年に限っていえばその限りでもないようだ。試着室から申し訳ない苦笑いを浮かべて出てくるのはもういやだ。だからわたしは痩せたいのである。
ジャケットの下にかっこいいシャツを着たい
仕事柄スーツ着用ではない現在、しかしながらジャケットを着るシーンはときどきある。その際、ジャケットの下はTシャツである。冬でもTシャツ。いや、それはそれでいいのだが、わたしだってシャツを着たい。ちゃんとズボンの中に入れて、ボタンダウンのやつなんぞを。いまそれをやると、腕。肩のまわりが窮屈だしもっこりするのである。かといって大きめのジャケットを着ると、生来なで肩のわたしにはいかつい肩パット状態となってしまう。ちょっと小粋なビジネスパースンに見られたい。だからわたしは痩せたいのである。
さらりとTシャツ一枚で過ごしたい
夏はTシャツで出社することもあるのだけれど、そんなときも変に気負わずにさらりとしたい。数年前、いとこに「歳を取るとTシャツだけじゃ歩けなくなるぞ」と言われた。そんなことはないと思っていた。だからわたしは痩せたいのである。
タンクトップだって着たい
このまえ黒いタンクトップ(ノースリーブに近い)を着たら、和太鼓を叩いてるチームにいるちょっとむっちりした人みたいだった。暑がりなわたしはタンクトップでさらりと街に出てみたい。太鼓を叩かずに。だからわたしは痩せたいのである。
デブ汗と誤解されたくない
子供の頃から汗かきのわたし。こればっかりは不可避で、一生つきあってゆくことになりそうである。しかし、太っているから汗が出ているのだとは思われたくない。それは誤解だ、誤解なんだよ。山王の丸ゴリと丸男の汗は違って見えるだろう。兄弟なのに。プライベートでもビジネスシーンでも、汗は吹き出るものだから、せめて悪くは思われたくない。だからわたしは痩せたいのである。
せっかく身長はあるのに
父の家系は背が低い。だが、幸いにして平均身長以上を授かったわたし。どうにもならない部分がどうにかなっているのだから、太ったままではもったいない。だからわたしは痩せたいのである。
せっかく骨格は細いのに
スレンダーとまではいかないまでも、少しでもそれに近い人生を一度でいいから経験してみたい。だからわたしは痩せたいのである。
食費を浮かせたい
昔ほど大食いはできないものの、普通よりはちょっと多く食べてしまう。生活のランニングコストを押さえて別のことに回したい。だから私は痩せたいのである。
あの日の体の動きのキレを取り戻したい
高校時代、演劇部で毎日練習に励んでいた頃のわたしは、痩せ形ではなかったもののそれなりにきびきび動けていた。垂直跳びも跳べていたし、関節の可動域もそれなりに大きかった。いまのわたしの動きは鈍重で狭い。自分の体なのに自分の思った通りに動かせないもどかしさはいやだ。だからわたしは痩せたいのである。
実家に帰るたびに「太ったね」と言われたくない
会うや否や「太ったね〜」と大声で感嘆し二の腕をばしばしとつかみ「で、何食べる?ああこれも食べなさいあれ持っていきなさい」と言う母。だからわたしは痩せたいのである。
負の自意識過剰をなくしたい
思えばずうっと「こいつデブだな、と思われてるんじゃないか」とビクビクしながら街を歩いている。どうせみんなそんなこと思ってないし見ていない。頭ではわかっているつもりなのに、この思いは根深くこびりついている。捨ててしまいたい。心身ともに身軽になりたい。だからわたしは痩せたいのである。
わたしはわたしが思っている以上に太っている
人は鏡を見るとき、自然と一番いけてる表情・角度をしているのだそう。鏡で見ている自分より、私は確実に太っていると思った方がよい。しかも、まるで親戚のおじさんが会うたびに「大きくなったなあ!」と言ってきても自分ではピンとこないように、毎日毎日自分の姿を鏡で見ているわたしは、自分をそれほど太っていないと思っているふしすらある。さにあらず。ときどき自分の後ろ姿や横を意図せずに鏡とかあと写真とかで見て愕然とする。わたしは太っている。だからわたしは痩せたいのである。
デブ飽きた
子供の頃から常に「やや肥満」と診断されてきたわたし。ここ数年は特に目立って太ったが故に、すっかり太め(よくて「がっしり」)キャラである。これはこれでおいしい、と開き直って数年は過ごしてきたが、そろそろ飽きてきた。もういやだ。飽きた。変えたい。変わりたい。だからわたしは痩せたいのである。


無理はしない。我慢はしない。けれど「無理も我慢をしないながらも積極的に取り組む・創意工夫する姿勢」が最近のわたしには欠けていた。わたしは上記リストをよりどころに再起を誓うのであった。