ツルゲーネフ『はつ恋』

神西清訳・新潮文庫
ひらがなで「はつ」とか言っちゃって、ほんわか構えさせちゃっといて、想像以上のヘビーさにキン肉マンさながら「ゲー!」って言っちゃうほどの驚き。
とはいえ予め筋を知った上での読書だったので(伊藤聡『生きる技術は名作に学べ』で取り上げられているのを読んでいたので)、読みながらの衝撃というのはさほどでもなかったのだけれど、100ページちょっとの長さの、前半と後半の色鮮やかな変貌とその自然なグラデーションが美しいと思った。
というのも主人公の恋のお相手・ジナイーダのコケットぶりが、のっけから飛ばしまくっていて、ツッコミながら笑っちゃうのを禁じ得ないくらいだったのだが、それが後半のフリとしてしっかり利いてきて。前半どこまでが嘘でどこまでが本当かわからなかったジナイーダの、後半やむにやまれぬ本当な感じが、ぐっときた。
また、主人公の思弁があんまりしつこくないのも読みやすくてよかった。題材がシンプルなだけにということか、懊悩もシンプル、だけど力強くて。もちろん主人公は大切なのだけれど、大切なんだろうけれど、読んでて邪魔になる主人公っていると思うので。


数カ所、よかった箇所を引用(写経)。

『取れるだけ自分の手でつかめ。人の手にあやつられるな。自分が自分みずからのものであること――人生の妙趣はつまりそこだよ』と、ある時父はわたしに語った。
(P47)

父は、何よりもまず、そして何にも増して、生活することを欲した。そして実際、生活したのだ。……ひょっとすると父は、自分が人生の「妙趣」をあまり永く享楽できないことを予感していたのかもしれない。四十二で死んだのである。
(P48)

ジナイーダがいないと、わたしは気が滅入った。何ひとつ頭に浮かんでこず、何ごとも手につかなかった。わたしは何日もぶっつづけに、明けても暮れても、しきりに彼女のことを思っていた。わたしは気が滅入った……とはいえ、彼女がいる時でも、別に気が楽になったわけではない。わたしは嫉妬したり、自分の小っぽけさ加減に愛想をつかしたり、馬鹿みたいにすねてみたり、馬鹿みたいに平つくばったり、――そのくせ、どうにもならない引力で彼女の方へ引きつけられて、彼女の居間の敷居をまたぐ都度、わたしは思わず知らず、幸福のおののきに総身が震えるのだった。
(P50-51)

それにしたっていつの世も「そうそう、そうなんだよねー!」なんつって膝を殴打しながらモヤモヤしてるおっさんがいっぱいいると思うと、ほっこりしますね。


以下、魅力を感じた気づきメモ。

  • 閉じすぎず開き過ぎてもいない舞台設定
  • 全体が回想である構造の中で、時々ちょっとだけ行き来する時間(とりわけ中盤で明かされる父の死についてのさらりとした触れ方)
  • ロシア文学なのに登場人物の名前が区別つきやすくて助かりました

はつ恋 (新潮文庫)

はつ恋 (新潮文庫)