俺は小樽市生まれナップランド育ち

ランドセル界にとっては当たり年の様相を呈している2011年。伊達が多数出没しているというニュースを毎日目にするけれど、私にとってこのニュースがいまいちピンとこないのは、ひとえに「ランドセル」というものに特段の思い入れがないから。
なぜかといえば、私の生まれ育った北海道小樽市では、小学生はランドセルを背負わない。みんなが背負うのは「ナップランド」である。

PucchiNetより拝借)

軽量なナイロン製で、合理的・機能的に作られたランドセル風のバッグ。ナップサック+ランドセルでナップランドだ。フタの中央のクリアポケットには校章入りのワッペンを入れる。転校時には差し替える(差し替えた)。私が持っていた型は上の画像と異なり、もう少しフタが小さくてプラスチックじゃない金具で、もっとリュックに近い感じだった。2歳下の弟のナップランドは違う型だったから、わりと頻繁にリニューアルされているのかもしれない(カバン店によっても違う)。こんなに色バリもなかったし。

ランドセルの場合はどうか知らないが、ナップランドは6年もつほどタフではない。6年生ともなればナップランドを背負っている児童はごく少数、だいたい各自よきところで自由なカバンへと背負い替えてゆく。私も3年生の時分にナップランドのどこかしらが壊れ、ナップランド卒業と相成った。


さて、このナップランドなる小学生用通学カバンは小樽発祥かつ小樽独自で発展したものらしい。上述・ムラタのサイトによれば

昭和45年頃に小学校の先生から軽いランドセルができないかという相談を受け、先代の社長や先生達が一緒に考え、ナップサックの軽さとランドセルの丈夫さを合わせたカバンをナップランドとして開発しました。特に小樽は山や坂があり雪も多いので、体に負担がかからないようにと作られました。

とのこと。なるほど、小樽という土地柄ならではの課題を解決するべく考案されたものだったと。どうりで軽そうな奴は大体友達である。
私がナップランドが小樽独自のものであることを知ったのは、ナップランドを卒業してやや後になってのこと。年端も行かない児童にとって、市外の事情など海の向こうのことのようだったから、比較しようがなかったのである。
もちろん「ランドセル」の存在は知っていたし、実際に見たこともあった(クラスに数名いた。転校生とか)けれど、せいぜい「ナップランドの型・色違い」ぐらいに思っていたし、そもそもがナップランドは私にとって「指定の通学カバン」というライトな意味でしかなかったのだ。
私が今般のランドセル美談に感情移入できないのは、このへんに理由がある。ランドセルが世間では「子どもの成長における特別なアイコン」として機能しており、かつ「なかなか高価」であると私が知ったのは大人になってから。知識としてはわかる。けれど実感が伴わない。ランドセル(ナップランド)はカバンだ。それ以上でも以下でもない。「ランドセルって何万もすんの?バカじゃないの?小樽でよかったわウチ」と驚き理不尽に感じたのを覚えている。それは中学進学時、学ランの価格を知ったときに似た感情だったかもしれない。


こんなナップランドのことについてTwitterにてぼそりと呟いたところ、@yellowkioskさんのリプライにて京都の「ランリュック」の存在をご教示いただいた。

交通安全ランドセル ランリックより拝借)

形や名は違えど、これはまさしくナップランド!ネーミングの発想が同じ!校章を入れる点も同じ!驚いた。これには本当に驚いた。ちなみに正式名は「ランリック」、愛称が「ランリュック」みたい。
上述のサイトによれば

 昭和42年、京都府乙訓郡、長岡町立(現長岡京市立)長岡第三小学校へ転任して来られた校長先生が、『小学生のランドセルの中には一部に高価で不経済なものがあり、親の見栄などもあって子供達に悪い影響を与えるのではないか』という問題提起をされました。
 当時、子供達の中で自分達の持つランドセルの比べ合い(値段や品質等)があり、不必要な競争意識が芽生えていました。 又、ランドセルの重さが小さな子供達の身体に負担では?と心配され、健康面からも問題となっていました。
 そこで校長先生はじめ、当時の諸先生方や保護者の方々など多くの御意見、ご協力を得て『安くて 軽くて 安全』という三点から試行錯誤の末、ランドセルとリュックサックの二つの機能を合わせ持つ交通安全ランドセル『ランリック』が開発されました。
 翌年春から、新入生130名に対して『ランリック』が配布、使用されるようになったのが始まりです。
 さらに、その後も数多くの改良を重ね現在のランリックに至っております。

京都府で誕生したランリック、その発祥はナップランドより数年早い。なんと小樽発祥と思っていたナップランドには、遠く京都に先輩がいた。そして両者は今もなおそれぞれのローカルで異常な発展を遂げているのである。びっくりである。興奮した。俺、久しぶりに興奮したよ。
当時、小樽の先生は京都の事例を知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれないが、今さらそんなことはどうでもいい。ナップランドごときで元祖争いが勃発するものでもあるまい(知らなかった、のほうが面白いけれど、でも知ってたっぽい似かただよなー)。
ただ、興味深いのはナップランドもランリックもその登場が昭和40年代、数年の差しかないという点である。たかだか2事例、ただの偶然かもしれないし、小樽がパクっただけかもしれない。けれどこの時期、ランドセルに対する共通の問題意識が芽生えたという推測はできないだろうか。
ランリックの歴史解説にあるようなランドセル信仰(と見栄の張り合い)が、このへんをピークに過熱しまくったのだろうか。それとも体面を気にしない合理主義的発想の高まりが教育現場で盛り上がったのだろうか。高度経済成長期、何らかの社会的な要因があった…とかだと面白いかなーと思ったんだけど、どうなんだべ。そんなことが書かれてる本などないものかしら。ランドセルの社会史。ランドセルから見る高度経済成長。