いま春が来て君はしまわなくなった

3月最終週。東京に暮らす友人のツイッターには「花見」というワードも散見されるようになりました。札幌も先週いきなり雪が積もって慌てましたが、週末からはすっかり寒さもゆるんで参りまして、こりゃ春だ、うん、まもなく春が来るのだという事実を認めざるを得ません。
耳を澄ませばごうごう、ざあざあと、雪解け水の流れる音がマンホールの下から聞こえてきます。積雪地帯にとって春の訪れというものはうれしくもあり煩わしくもあるものです。うっかり春靴で出かけてみたら雪解けで足下ぐちゃぐちゃな事案。うっかり薄着で出かけてみたら、帰りの夜道はめちゃくちゃ寒いじゃないのという事案。ああ、こんなとき、せめて鞄の中にアレを忍ばせてさえいれば。首にひと巻きすれば一瞬にして極楽のアレを。ええそうです、マで始まるアレです。マフラーしまい髪の話です。
毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年申し上げているように、私は女性の髪がマフラーの中にたくしこまれている状態を愛しております。
今まさに終わろうとしている冬ですが、今年の冬は寒かった。全国的にどうだったかきちんと調べてはいませんが、各所で雪が降っただの積もっただのというニュースもよく目にした印象があります。札幌は寒かったです。実感として寒かった。そして実際、マフラーしまい髪を目にすることがものすごく多い冬でした。地下鉄の車内や駅を見渡すとむしろ、マフラーしまい髪じゃない女性を見つけることのほうが困難なぐらいでした。
私の故郷・小樽ではかつてニシンがとてもたくさん獲れ、その漁で財を成した者は鰊御殿を建てたといいます。ニシンの大群が沿岸に押し寄せ産卵と放精のために海が白く濁ったというその現象は「群来(くき)」と呼ばれました。今冬、札幌の街で見られたのはまさにマフラーしまい髪の群来。こちらに獲る意志がなくとも視界に勝手に飛び込んでくるような状態、すなわち大漁です。私はなんというか、ただただありがたいなあと思いました。これを独り占めしてマフラーしまい髪御殿を建てようなどという気はさらさらない、むしろみんなで分かち合っていこうじゃないかと。みんな平等に、緩やかにしまっていけばいい。そう申し上げたい。
どんなものにも盛りがあればその終わりもあります。雪も解けつつある3月の終わり、さすがにマフラーしまい髪どころか、マフラーを巻く人もずいぶんと減りました。それでもね、マフラーを巻いている人がときどきまだ、いるんです。札幌は前述のように夜などは冷え込みますから、マフラーがあるとありがたいんですよね。で、その中にですね、いるんです。いるんですよ。よく目を凝らして見てください。ほら、いるでしょう?見えますか?しまっている人が。
「マフラーしまい髪に貴賤なし」これは大前提です。すべてのマフラーしまい髪はいい。意図的かそうでないか、どのようなスタイルか、そういった差異は差異で味わい深いものではありつつ、基本的にはすべていい。みんなちがってみんないい。それがマフラーしまい髪です。でも、でも、でもね。でもですね。でも考えてもみてくださいよ。もうすぐ4月にもなろうかという今、マフラーがしまい髪しちゃってるわけですよ。寒いっつったって、真冬の氷点下とはわけがちがうわけですよ。これが何を意味するか。もうおわかりですよね。「完全にうっかり」です。これしかない。
このマフラーしまい髪は尊い。レアなうえにステータスも高い。ニシンの群来が去った後の寂しい海をぼんやり眺めてたらなんかでっけえ天然のマグロいたー!みたいなことです。マグロ!
と、このように、シーズンが終わるのは寂しくもあるいっぽうで、シーズンの終わりにはこの時期特有の楽しみもまたあるよね、という、今年はそういうお話をしてみた次第であります。シーズン始まりの期待感に満ちた楽しみとはまた一味違った、寂寥感漂う大人の味わいといったところでしょうか。始まりから終わりまで、なんならまったくのオフシーズンも、一年中私はマフラーしまい髪をしゃぶりつくしていきたい。それでは皆様、春夏もお元気で。