マフラーしまい髪、幼年期の終わり。

2月も半ばを過ぎ、全国ニュースではスギ花粉症のシーズンが到来したやら、なんなら南の桜やら、冬ももうすぐ終わりかねーなんていう雰囲気がちらほら。「えっ?このまま冬が終わっていいの…?」とご不安の皆様、大丈夫。札幌の冬はここからが長い。「さっぽろ雪まつり」は終了しましたが、今日もぜんぜん吹雪いています。痛い痛い顔に当たる霰が痛い!
というわけでお待たせしました。マフラーしまい髪の話です。
毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年申し上げているように、私は女性の髪がマフラーの中にたくしこまれている状態をすこぶるすこぶる愛しております。
友人のポールさん(@door13)により設立された「マフラーしまい髪研究所」が昨冬にはラジオ出演までしてしまったというこの快挙。暴挙。社会現象。マスの電波に乗ったマフ。つまりマフコミです。マフラーしまい髪はついに公に認められた、完全に一般市民レベルに浸透したといっても過言ではないでしょう。女性は皆、マフラーしまい髪が魅力的なことを知っている。男性は皆、マフラーしまい髪を魅力的なものとして鑑賞している。冬の冷たい空気の中で価値の交換が堂々と、しかし密やかに行われているのです。女も男も口には出さないけれど、実は全員が知っている。なんですかそれは。変態の天国か。
マフラーしまい髪は「意図的か、そうでないか」にかかわらず魅力的であるというのは昨季までの考察で既に結論が出ています。そのうえ大衆への認知、浸透も完了している。マフラーしまい髪は今、明確に、成熟期に入ったわけです。
もちろんすべてのマフラーしまい髪はすばらしい。その前提で、さらに「どんなマフラーしまい髪がよりすばらしいのか」という細分化のフェーズです。マフラーしまい髪の形式、フォームに関しては研究所のほうで既に研究、分類が進んでいるわけですが、私はここでひとつ最近の発見をお伝えしたい。「終電における『マフラーしまい髪』」についてです。
仕事柄、終電で帰宅するような日も少なくないのですが、ふと、終電の時間帯は「マフラーしまい髪」の率が高いということに私は気づきました。もちろん単純に、夜も遅いから寒いというのもあるのでしょうが、それだけではないように思うのです。
駅にはいろんな人が集い、列車にはいろんな人が乗っていますが、終電の時間帯にいる人の多くは「お酒を飲んでいる人」か「仕事でくたくたの人」です。つまり、比較的へろへろな人が多いのが終電です。人間へろへろになってきますと、やはり余裕がなくなってくる。言い換えると、自分が可愛くなってくるわけです。人の目を意識するというよりは自分の快楽を優先するようになる。ああ、暖を取りたい。首から上を、ふわふわしたものにうずめたい。包み込まれる感じがほしい。そこで、マフラーしまい髪。
しかも、へろへろになっている皆様のマフラーしまい髪ときたら、非常にしどけない。そう、しどけないのです。今ジョジョだったら「しどけない」に力いっぱい傍点を打ちたい気分です。髪の巻き込み方、はね方、そのランダムさ。非常によい。奔放でよい。
マフラーしまい髪という営み自体が宿命的に孕んでいるしどけなさが、つい露わになる時間帯。それが終電といえるのではないでしょうか。この終電というシチュエーションにおいてこそ、マフラーしまい髪のタブラ・ラーサ(白紙)が垣間見えるのではないでしょうか。
それとも私が疲れているだけなのでしょうか。