文字を打つおしごと

考えているようなふりをして、そのじつどれだけの時間を集中できているのだろうかと我に返る瞬間がある。散漫であることが必要なときもあるけれど、そうでないギュッと詰まった時間を、がっぷり四つに組んだような時間を、増やしていく余地はまだありそうな気がするなあ。特に、キーボードを叩いていない時間帯の思考の方向性と着地について。
シンプルなタイマーをMacに入れている。ちょっと散漫だなと感じたタイミングでスタート。そのことで集中できるときもあるし、結局散漫なままに過ごし、気づいたらああ、これだけの時間を散漫に費やしてしまったと気づく。それだけでもまずはいいかなと思う。
一日を終えて充実を感じるか否かは、一日トータルでどれだけやってたかということより、一時間でも九十分でも、ギュッとした時間をつくれたかどうかにかかっているような気がする。