「イメージ」できないと買えない人

id:hejihoguさんのこの記事と、その先の匿名ダイアリーを読んで。
「好き」だから買う人と「言い訳」しないと買えない人 - 北の大地から送る物欲日記
まあ断捨離とかカシワ的な手ぶら主義なんかがあって、余計なモノを増やす「消費=悪」みたいな気分、わからないではない。もちろん断捨離も手ぶらも、そんなことは言ってないのだけれど、気分として。
いっぽうで「ムダなものこそ人生を豊かにする」みたいなのもありますよね。「豊か」ってのがどうも曖昧で、そりゃ人によるだろうから宿命的に曖昧なんだろうけど、まあ、わかるっちゃわかるがそれほど強いお題目というわけでもない。
31歳の私の場合。「言い訳」の話、けっこう共感できる。コーズマーケティングと呼ばれる手法もそのへんの気分と関わっているのかな?深く考えていませんが。ただ「消費=悪」とまでストレートには感じていなくって、そこはhejihoguさんのご指摘のように、消費全般というよりは「お金の無駄遣い」に罪悪感をおぼえているのかなと思う。「好きなモノ」はあるし、そういうモノを買っている。
ちょうど最近、自分で意識したところなのだけれど、私が買い物をするときに最も躊躇・懊悩するのは「好きなモノ」なのに「自分がそれを使っているイメージができない」ときだ。
服なんかだと試着してみて「似合わん」となればあきらめがつくんだけど、もっぱら文房具とか文房具とか文房具とか、自分が使っているイメージを店頭で追いかけて追いかけて、さんざん粘って、結局は買うのをやめてしまうということが多い。買わずに帰った自室で「プロダクトとして好きなんだけどな」なんてぶつくさひとりごちてみたり。
とはいえこれは世代というよりは、元々があまり買い物が上手くなくて「けちなくせに無駄遣いをよくして自己嫌悪」をたくさん繰り返した、という個人的経験がベースにあるかもしれない。あと、ランニングコストの嵩みそうなものの購入にはかなり躊躇する傾向にはあるが、これはシンプルに「収入の先行きに自信がないから」だろう。
と、私がhejihoguさんの仰るところの若者かどうかはわからないけど。そういえばこんな本も読んだっけな