おいしさと卒デブ

欲望をシフトしようと思う。しーなねこさんがこのまえ「よく噛んで食べる」ことを書いていて、ぼんやりと共感しながらふわふわとおなかの上空に浮かんでいたものが、唐突にすとんと腑に落ちました。
給食は必ずおかわりするような大食い児童ではあったけれど、それよりどちらかといえば早食いの子どもでした。たいした忙しいわけでもなければ、はやくごはんを食べて遊びに行きたいとかいうわけでもない。そうではなく、口の中にめいっぱいモノをつめこんで、もしゃもしゃする。それが私の「おいしさ」だったからなのでした。
おとなになった私は、さすがに人前でリスのように頬をふくらませてものを食べることはしません(ほとんど)。けれど、きっとやはり、私の「おいしさ」は「口の中いっぱいにかかる圧と、口の中ぜんぶが漠と味で満たされていることそれ自体」のままなのです。
そしていっぽう、おとなになった私は「繊細な味の違いがわからないこと」に対するコンプレックスを数年来かかえています。味覚はたしかに、一般的にいわれるように、としをとって変わりました。野菜やら渋い食べ物が以前より好きになりました。でも、微妙な違いとか、以前たべたものの味の記憶とか、そういうのがぜんぜんわからないのです。そりゃそうだ、「味」が「おいしさ」でなかったのだから。
私の中のおいしさを、味にシフトする。そしてしっかり記憶する。そのための「少量を、ゆっくり、よく噛んで」である。そうすれば自然と暴飲暴食も未然に防げよう。三十歳の感覚を、地道に鍛えるのみであります。

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さっき、布団の中で『聖☆おにいさん』8巻をを読んだ後に「おめざ」を食べようと布団から這い出た瞬間、上記のような事柄が一気につながって、悟ってしまったのかと思いました。おめざうまかったデブ〜。