織田作之助『夫婦善哉』

新潮文庫。初オダサク。

「僕と共鳴せえへんか」
(「夫婦善哉」P20)

ってこれだったんだ!とぜんぜん知らぬまま町田康が好きと言い続けてきました。町田康はもう何年も読んでいません。読めていません。

ダメダメでどぎついながらもチャーミング。地名や数字の羅列には、それなりの意味意図があるということも言及されていたけれども、読みづらいっちゃ読みづらい。ただ、そこを差し引いても、けっこう好きかも。

 嫉妬は閨房の行為に対する私の考えを一変させた。日常茶飯事の欠伸まじりに倦怠期の夫婦が行う行為と考えてみたり、娼家の一室で金銭に換算される一種の労働行為と考えてみたりしたが、なお割り切れぬものが残った。円い玉子も切りようで四角いとはいうものの、やはり切れ端が残るのである。欠伸をまじえても金銭に換算しても、やはり女の生理の秘密はその都度新鮮な驚きであった。私は深刻憂鬱な日々を送った。
(「世相」P181)


書き手としての姿が垣間見えて興味深かったのは以下。

本来が青春と無縁であり得ない文学の仕事をしながら、その仕事に追われてかえってかつての自分の青春を暫く忘れていた私は、その名曲堂からの葉書を見て、にわかになつかしく、久し振りに口縄坂を登った。
(「木の都」P69)

流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間であり、体系や思想を持たぬ自分の感受性を、唯一所に沈潜することによって傷つくことから守ろうとする走馬燈のような時の場所のめまぐるしい変化だけが、阿呆の一つ覚えの覘いであった。
(「世相」P205)

夫婦善哉 (新潮文庫)

夫婦善哉 (新潮文庫)