ブログ日記化計画

あまりにも記憶からこぼれ落ちていくものが多すぎるんじゃないかと最近こわくなってきたのが、日記をつけたいと思ったきっかけです。時は流れ過ぎ去っていってしかるべきものだし、そこに杭を打とうという気も惜しむ気もさらさらないけれど、それでも、ちょっと書き留めてさえいればいつでもいつまでも思い出すことができる日々というのも、なかなかいいんじゃないかなと思う。

日々、何もしなければ
どんどん忘れ去ってしまうんだけど、
ちょっと意識して撮っておけば
忘れずに、覚えておける風景‥‥というかな。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 師、忘れ得ぬ写真家。上田義彦

どうも、日々のあれこれから象徴的な事柄や教訓めいたテーゼを抽出して残そうとしても、それはそれで効率的ではあるのだけれど、それだけではつまらなくなってきている。結局それは自分のフィルターでしかなくて、ちょっとずつ進歩なのか変化なのか、していようがしていまいが、自家中毒的に飽いてくる。自分の味に飽いてきているのである。
外的な刺激に対して、その時点での解釈を行うことはそれはそれで大切なんだけど、たぶん。それだけじゃなくて、もっと外的な刺激そのものというか、ノイズととられても構わない、情報量が多い状態で呑み込みながら書き付けていくことはできないかな、もしそれができれば、何年も後の自分がそれをと読み返したときに、また違った感じ方に出会うことができるんじゃないかなと期待している。
実施レベルでは別に大げさなことではなくて、今まで「1記事1テーマで、書くタイミングはあまり気にしない」としていたところを、「多少ごちゃごちゃでもいいから、できるだけその日その日に、時系列で記録していく」ことに変えてみてはどうかと考えている。とはいえ小説や本、演劇、映画、美術展などの鑑賞タイトルを見出し化しておくと便利なので、それはそれで残しておきたい。
それでいてただの雑文書き散らしだけではなくて、少なくとも未来の自分へのサービス精神として、読みやすく記録しておきたい。そのために必要な「整理整頓」のあんばいは、いったいどのへんなんだろう…
なんてことを、しばらくぐちゃぐちゃやっていきます。