大宮エリー「思いを伝えるということ展」


9/16sun@札幌パルコ。尊敬する先輩や尊敬する先輩の高評価を思い出して、立ち寄り、飛び込み。入場料支払時パルコカードの入会促進が過剰。



ことばが主役の展示。ことばそれ自体を読ませることと、ことばを読む体験をふくよかにしてくれる、視覚、聴覚、触覚のしかけ。押しつけがましくなく飽きさせない、ほどよいあんばい。さわる・ボトル・プレパラートなど。
ことばそれ自体も、反復が多くてリズムがあってテンポよく読めて、こういった立ち歩きながら鑑賞する類の展示にマッチした文体と長さに配慮されているな、と思った。適材適所文書。(これも詩のフィジカルな側面ということができるのだろうか?)元来ものを読むのが遅い私は「熟考するのはやめよう」とだけ決めて、とにかく次へ次へと読み進めるように自分に言い聞かせながら読んだ。
一つひとつのことばの中身というよりは、展示方法をふくめた総体として、ひとつの体験として、と意識して。というわけでことばそれ自体はほとんどおぼえていないのだけれど、ベースラインとして流れ続けていたメッセージだけは、1ヵ月近く経過した本日時点でもことばにならない感じでうっすら残っている。
ところで入場時、受付のお姉ちゃんが「写真撮影OK、ツイートとかしてくださいね」みたいなことをわざわざ言ってきたので(品がないなあと思ったそれこそ「読ませりゃ」いいのに)、以下、遠慮なく、いちばん気に入ったくだりをふたつ、載せつつ、キーボード写経。近接展示2篇。

「シートベルトをお締めください」


このシートベルトは
安全のシートベルトではありません
傷つかないようにあなたを守る
シートベルトではありません
そんなシートベルトをしていては
思いなんて伝わらない
心残りが生まれます
傷つくぐらいでちょうどいい
刹那に赤裸々に
丸裸の気持ちを
聞いてもらおうじゃないですか
シートベルトをお締めください
このシートベルトは
傷つかないようにあなたを守る
シートベルトではありません
後悔からあなたを守る
シートベルトなんです


自分は伝えたかったんだからって
どんな結果でも後悔しないって
腹に力をいれるための
シートベルトなんです


たとえあなたを受け入れてくれなくても
たとえあなたを許してくれなくても
たとえあなたを愛してくれなくても
後悔は無用です


アテンションプリーズ


飛び立てずに困っている人へ
たとえ飛び立った先が
残念なものであったとしても
飛び立てたという感覚は
すばらしい戦利品だと思うのです


たとえば誰かを気になりだして
好きだという感情に気づき
押さえられなくなり
どうしたらいいか
困ってしまったとき
それはやはり
離陸のときだと思うのです


伝えたいことを伝え
聞きたいことを聞く
本当の気持ちを伝えることは
とても怖いけれど
伝えたら、
待っている世界がある


たとえ恋が叶わなくても
思いを伝えたら、
相手の心のうちも
聞いてもいいわけで
全てが釈然とする世界に
移行できるのです


アテンションプリーズ
さあ、飛び立つ準備をしてください
行き着く先が問題ではなく
結果が問題ではなく
思いを伝えるという行為が
自分の気持ちを
認めてあげることになるから
飛び立ったあと
残念な結果でも
伝えきることができたなら
とてもすがすがしい気持ちが
広がっているのです。
よく澄み切った冬の青空と
心地の良いキリッとした風の
爽快なバリューセットみたいな感じで。


こうして写真に撮れるからこそ「よいフレーズがあったらおぼえておこう」と気張らずにゆったり全体を眺めることができたなとおもうので、そこんところはありがたかった。


技術が進み、メディアとの接し方が変わり、表現が、ことにことばを主とする表現のふるまいがどうあるべきか、途方もないほどの選択肢がひろがって途方に暮れてしまいそうな昨今、そうむずかしく考えすぎなくても大丈夫といわれたような、ひとつの立ち返る地点として、記憶しておきたい展示。


よい問いを立てるためにはことばが便利だけれど、よい答えは必ずしもことばじゃなくていいのかも。