ディケンズ『クリスマス・キャロル』

光文社古典新訳文庫、池央耿訳。まだクリスマスも冬すらも遠い、残暑の9月の湯船にて初読。
冒頭、いわゆる徹底的に前フリ的なくだりを読みながら、極薄の聞きかじり記憶がよみがえる。ああそういえば。このへんくつじいさんが。そうかそうかと。そうとなればあとはしめたもので、ただただ精霊のしむけるあの手この手に、読み手としてもきもちよく身を委ねるだけでよい読書時間。
この時代だったから許されるベタさなのかといえば、必ずしもそうではないような気がする。このいっけんシンプルに見える話は、そのシンプルに見えることで長く読み継がれる強度をもっているようにおもうが、きっと「ただかんたん」というのではない深みが、人間のもついろんな襞が、ごくごくナチュラルにたっぷりとふくまれているからこそ、シンプルでありながら強度をもっているのかもしれないなあ、と想像する。
のだけれども「じゃあ具体的にこのへんが。いわゆる襞である」ということについて指し示すことが私には難しい。さっき読んだばっかりの、マンガ「大奥」の吉宗が「自分は人間の心の襞がわからん」って自己分析するあたりをおもいだす。主人公・スクルージ翁と、私自身に重ねながら、みにつまされるおもい。たのしくやろうぜまったくよぉー。

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)