川上弘美『おめでとう』
文春文庫。とにかく「神様」でガツンとやられた私(まだ言ってる)にとっては、すっかり恋愛小説の人になったように見える川上弘美がいまだに少し変な気持ちになるというか。そんな何冊も読んでるわけではないのだけれど。とはいえ自分にとってはすいすいと読みやすくてハッとする気づきもあって、「何というわけじゃないけど、何か読みたい」と書店で迷った折に気軽に手に取れる、貴重な小説家さんの一人である。
残念な恋愛あり、ミチナラヌ恋愛ありと、まあいろいろとラインナップする短編集。葛藤があるんだかないんだか、その苦悩ぶりをはっきりと言い放ってこないので、読んでるこちらはほっとする。なんでもないようでいて実際にはなんでもあるはずの人間模様と生活模様を淡々と語る、妙にさめた物言いと視点が、読み手を誘うでもなくただそこにあって、いつの間にか自然とやさしいまなざしでその様子を味わい始めているこちらがいる感じ。これを妙手というべきなのか、はたして。
ぐっときた箇所を抜き書く。
その夜は、小田原の小さな飲み屋でしたたかに酔った。生の蛸を食べさせる店で、相模湾でとれるという何種類かの蛸を出された。タマヨさん、あいしてる、そう言うと、タマヨさんは蛸をむつむつ噛んだ。
(「いまだ覚めず」P29)
そのショウコさんと、旅に出るのである。
ショウコさんからの電話の最中のある瞬間に、二人して、
「なんかやんなっちゃった」と声が揃ってしまったのだ。やんなっちゃったからには、旅に出るしかないんではないでしょうかと言いあい、その場で行く先と日にちが決まった。
(「春の虫」P47-48)
当面は貧乏だが、なにほどのこともない。八月二十四日までは、あと三日である。
(「天上大風」P106)
夕方に、女ともだちと酒を飲んだのである。しかし藍生はそのようなときも男のことを打ち明け話にして語ったりはしない。男とのことがらは、藍生にとってあまりにうつくしいことがらなので、誰にも話すことはできない。
(「ばか」P176)
寒いです。
(「おめでとう」)
以下、魅力を感じた気づきメモ。
- ひらがなのユニークな擬音語(いまだ覚めず)
- ときどきいきなり混じる、会話の挿入としての丁寧な言葉遣い(春の虫)
- 時間のすっ飛ばし方が与えるカタルシス(天上大風)
- ひらがな遣い(「ばか」)
そして、いちばん好きだった話は「運命の恋人」。最高。
長年いろいろなことを経てきたが、やはりこのひとが運命のひとだったのかもしれないと想いながら、わたしは恋人の顔をじっと見た。
昔よりもよほど精悍になって、羽根なんかはえてるけれど、性格はいいし、生活力も案外ありそうだし。
(「運命の恋人」P187)
- 作者: 川上弘美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/12/06
- メディア: 文庫
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