マフラーのレゾンデートル

今冬、列島は雪やらなにやら実に大変な見舞われ方で、札幌のすぐそばの岩見沢など尋常ならざる有様のようです。各地の皆様、健やかにお過ごしでしょうか。札幌はずいぶん長いあいだ寒い日が続いていましたが、雪まつりが始まった途端に気温がゆるむというベタな「雪まつりあるある」をかまし、かと思いきやそれはフェイントで再び真冬日に突入。んでもって昨日今日はちょっとあったかいという今日この頃です。陽当たりのよい車道に至っては雪がとけて黒く濡れたアスファルトが肌を見せている始末です。
元来雪が嫌いな私は「冬なんて早く過ぎ去ってしまってほしい派」ですから、これは喜ぶべき状況ではあるのです。しかしながら、同時にこの季節が過ぎ去ってしまうことに寂しさ、やるせなさ、一抹の焦燥をおぼえずにはいられないのです。もうおわかりですね。「マフラーしまい髪」のシーズンが終わりに近づいているからであります。
毎年毎年毎年毎年、申し上げているように、私は女性の毛髪が首に巻かれたマフラーの中に格納されている様子を非常に好んでおります。このような嗜好をいつから持ち始めたのか、自ら意識し始めたのはいつからであるのか、もはや記憶が定かではないのですが「え、これはアリなのか…?」という素朴な疑問の念が「いいぞもっとやれ」へと変わるのにさほど時間はかからなかったということだけは確かです。もう大好き。
好きの理由に関しては幾度も考察を重ねてきましたが、昨冬のエントリに対してid:mirakino様より頂戴したコメント「無意識に発信されている防御感の健気さ」が、私としてはかなりいい線をかっちゃいていると考えています。マフラーに髪がしまいこまれている状態、それが女性の意図するところか意図せざるところか、そこは重要ではないのです。ポイントは「防御感の健気さ」であり、さらに私なりの表現を付け加えるのであれば、それは「無防備な防御」といえるでしょう。「このワインは無防備な防御…そう、たとえるなら『マフラーしまい髪』だ」と遠峰一青さんも北国のテロワールを感じながら恍惚の表情を浮かべることでしょう。
無防備な防御。これを一本の補助線としてマフラーしまい髪を観測してみると、2011-12 A/Wがいかにマフラーしまい髪のグレートヴィンテージであるかが浮かび上がってきます。なんせ寒い。なまら寒い。寒ければ女性の防御への意欲は自ずと高まります。なりふりかまっていられない、そのたたずまい。がっつりぴっちり完全収納されていたり、ときおり髪が左右非対称にボサっていたり、そこに顕現する十人十色の個性。まことにすばらしい。今季、業務の多忙にかまけて実はそれほど多くのマフラーしまい髪を観測できていないのが悔やまれるのですが、一つひとつのマフラーしまい髪の出来は大変よろしいと感じます。ありがとう寒い冬。ありがとう吹雪。
本州では既に花粉シーズンがスタートしたとの報道も目にしました。どんなに厳しい冬も、つまりはどんなにすばらしい冬も、必ずや終わりを迎えるのです。季節はめぐり、めぐみの季節がやってきます。私たちは振り返ってばかりはいられない。さあ、前を向いて歩み始めましょう。新しい冬の訪れに首を長くしながら。