2100年

最近の糸井さんは「1000歳まで生きるつもりで、いまを生きたほうがいいんじゃないか」というようなことをおっしゃっていて、さすがにその深いところまで私は汲み取れていないと思うのだが、うっすらなんとなく、それでいて素直に共感している。明日死んでもいいようにとはいうけれど、それはそれで、充実はしているかもしれないけれどつらそうだし。明るく楽しく、そして真剣に前を見て、毎日生きていたいじゃないの。的な。そのくらいアバウトに。けれど素直に。
それに影響されてかされずにか、どっちが先だったか記憶があやふやなのだけれど、最近の私はわりと本気で「2100年を見たい」と思い始めている。1982年早生まれの私が2100年まで生きれば満118歳となるわけで、なくはなかろうという微妙なライン。医学の進歩に期待しているわけでもないのだが、がんばればなんとかなるんじゃないのかと希望をもてるライン。自分的には。
21世紀なんてずっと未来のことだと子どもの頃から思っていて、今でもそんな「21世紀=未来」感は自分の中に残っている。けれど、仮に後世から振り返ってみれば、私は20世紀の終り頃に生まれたというだけで、実質的な活動時代的には「21世紀の人間」である。であれば、できるだけ21世紀をまっとうしたい。1900年ちょうどに没した19世紀の哲学者ニーチェみたいに。
2100年を私は見たい。そしてそれまでを楽しく過ごしていきたい。なんの意義も主張も先立たないセンテンスだけれど、そのために生きてみるのも悪くないかもしれない。少なくとも、漠然と長生きしたいと願うよりは、精神衛生上。
2101年まで生きれば足かけ3世紀も生きたことになるけれど、さすがにそれは無理じゃないかなと思っている。