チェーホフ『可愛い女・犬を連れた奥さん 他一篇』

岩波文庫赤622-3/神西清訳。
なんせ「犬を連れた奥さん」がいい!タイトルも、入り方も素晴らしい。無理なく素早くずわっと世界観に引きずり込み、そして広がっていく。

 海岸通りに新しい顔が現れたという噂であった ― 犬を連れた奥さんが。
(「犬を連れた奥さん」P7)

短いなかで淡々と、急ぎすぎることなく、でも丁寧。そして終わり方の鮮やかさ!すんごいさわやか!たまらん。筒井康隆がどこかで「小説は、その先がもうわかっちゃったらズバッと終わっちゃっていいよね」みたいなことを言っていたのを思い出した。
以下、はっとさせられた箇所を引用。

てっきりあの女は生まれて初めてこんな環境、というのはみんなが自分をつけまわしたり、じろじろ眺めたり、言葉を交わしたりするのも元はといえば唯ひとつ、彼女もそれと感づかずにはいられないある種の思惑からばっかりだといった環境に、一人ぼっちで置かれたに相違あるまいとも考えた。
(「犬を連れた奥さん」P12-13)

ちょうどこのエントリを読んだのもあって。

彼はいつも女の眼に正体とはちがった姿に映って来た。どの女も実際の彼を愛してくれたのではなくて、自分たちが想像で作りあげた男、めいめいその生涯に熱烈に探し求めていた何か別の男を愛していたのだった。
(「犬を連れた奥さん」P42)

真理っぽくもあり、「よくもまあ、いけしゃあしゃあと」とも読める。


あと、訳者の癖か意図的な工夫なのか、頻出する「句点なしの『が』」が面白い。独特のリズム。

 彼女は笑いだした。それから二人は、知らない同士のように無言で食事をつづけた。が食事が済んで、肩を並べて表へ出ると ― すぐもう冗談まじりの気軽な会話が始まった。
(「犬を連れた奥さん」P11)

朝吹登水子訳のサガンでも似たようなことがあった。


「可愛い女」もさばさばと楽しく読めるお話だったけれど、ところで3篇収録なのに「他一篇」扱いにされちゃった「イオーヌィチ」がかわいそう!だけど、表紙にいきなり「イオーヌィチ」ってタイトル書かれていても、それが人名であることすらギリギリのラインなんで、まあ仕方なし。
いい歳こいたおっさん達の恋愛模様は目にしみる。

可愛い女(ひと)・犬を連れた奥さん 他一編 (岩波文庫)

可愛い女(ひと)・犬を連れた奥さん 他一編 (岩波文庫)