太宰治『お伽草子』

新潮文庫。だいぶ前に友人からもらった一冊。短編集。
とにもかくにも冒頭一発目「盲人独笑」の、ものすごさにやられた。ぐっときすぎる。生にせまらさる。葛原勾当、ぜったいに太宰が創作した架空の人物なんだろう(そういう構造の小説なのだろう)と信じきりながら読んでいたが、実在か。それはそれですんげー。
表題たる「お伽草子」も、理屈っぽさがくどく感じられるも、おおむねたのし。なんだかんだで最後まで読ませて「読んでよかったな」と思ってもらうって難しいなあ。

言葉というものは、生きている事の不安から、芽生えて来たものじゃないですかね。腐った土から赤い毒きのこが生えて出るように、生命の不安が言葉を醗酵させているのじゃないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさえなお、いやらしい工夫がほどこされているじゃありませんか。人間は、よろこびの中にさえ、不安を感じているのでしょうかね。人間の言葉はみんな工夫です。気取ったものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでしょう。
(「浦島さん」P267)

こんなこと亀に言われた日にゃ。


性格の悲喜劇というものです。
(「瘤取り」P235)

ぐっときた地の文はここ。

お伽草紙 (新潮文庫)

お伽草紙 (新潮文庫)

※読んだのは昭和47年発行のもの。