札幌ビエンナーレ・プレ企画2011「美術館が消える9日間 ―アートから出て、アートに出よ。」

4/9sat@北海道立近代美術館。9日間のうちの8日目。イベントやパフォーマンスは未見。
のっけからイントレだらけの館内に好感。イントレっていいですよねー。無骨で巨大で。序盤はとにかくいろいろでっかくて、ただそれだけで「ナマ美術の鑑賞」って感じがびしびし伝わってきて楽しかった。
最近なにかにつけて思うのは「どんなにテクノロジーの発展が加速しても人体のスペックってそんな変わんないからそこで線が引かれるよなー」ってことでして。ケータイのサイズとか。人体と実寸で対比されるサイズ感って、単純だけどきっとナマアート鑑賞の外せない一要素だろうなーと再認識した。
「美術館を消す」という意味では直前のサッポロ未来展が既に消していた気がするので若干大げさだった印象も。美術館なるものに対するカウンターというコンセプトの提示はキャッチーだしわかりやすいとは思うけれど、「美術館=スノッブの独占するファインアートの牙城」みたいな図式って未だ有効という認識でいいの?こと北海道、札幌では有効だよねってこと?
このへんの「いわゆるアートシーン」的なあたりと「一般的な認識」それぞれ、そしてそれらのズレについて、よくわかっていない自分を反省しつつ注視していこうと思った。ふと思い出されるのは、以前近美のゴッホ展でゴッホじゃないけど似てる筆致の作品を「やっぱりゴッホは違うわね〜」って嘆息してたマダムたち。そこを頭ごなしに「けしからん」とも言えないような気持ち。
会場内で作品を販売してるのも面白かったけど、そこに震災チャリティが入ることでぶれてる気もしたのが残念。けれど「それが買わせる方策なんだ、『そっちの方が売れる』という判断なんだ」という商業的割りきりだったのだとすれば好感。深読みしすぎかしらん。