魔法使いの弟子

新作レンタル。髪があるだけで面白いニコラス・ケイジを、安心のディズニークオリティで堪能できる秀作。
トーリーはよくある、ものすごくよくある、おそらくシナリオの基本セオリーとやらにばっちり則ったもので、目新しさは何一つない。その中でいかに面白おかしく、真に迫る楽しさを発揮できるかというところに勝負をかけられているような、観ているとそんな気分。
考えたのは「普遍性」ということについて。とくにニコラス・ケイジの醸し出す普遍性、その説得力について。彼が演じる登場人物の、優れている点と欠いている点、強いところと情けないところ、それがヒューマンドラマだろうがSFだろうが古式ゆかしいファンタジーだろうが、どんな作品にもいつもの感じでずんべらぼーんとたたずみ、例の「真顔 からの 白い歯」みたいな表情とかで、物語世界を取り仕切り、髪があったりなかったりしながら、渡り歩いてゆくそのさまが、どうしてなんだろうなあと不思議に思う。
ニコラス・ケイジは、いつだって、そんなにかっこよくない。彼はいつも、ぐらぐらと揺れている。揺さぶられている。でも、完全にかっこよくないというわけではない。彼はいつも、自分の身の程をきちんとわかっているように見える。やれることはちゃんとやる。でもやれないこともある。それが彼の自信ありそげでなさそげな、髪がありそげでなさそげな、不思議な人間くささにつながっているのではないかなあ。
それはニコラス・ケイジの演技プランなのか、天然で持っている雰囲気なのか、シナリオなのか、仕事選びの戦略なのか、何に負うところなのかはわからない。私は彼の全ての作品を観たわけではなく、どっちかっつーと近年の、大作と呼ばれるものへの出演しか観ていないと思うけれど、今後はちょっと注意して観てみようと思う。
以下、魅力を感じた気づきメモ。

  • 俗っぽさの混ぜ込み方
  • 必要なことはとにかくきちんと説明しきる姿勢
  • 主人公の友人がいいやつ