刺激の遣場

単位時間あたりの量の多寡、強度の大小はさておき、だいたいのときにおいて刺激は心身に降りかかっている。
それらをいったん受けた上で、どこへと遣るかでずいぶん変わる。
頭へ流して、思考の網の目を拡げてゆくか。
腹へ落として、じわじわ燃える炭火とするか。
全身を共鳴させて、場のうねりをつくるか。
全てが必須ではないけれど、ものによっては一粒で何度もおいしい。
経験の密度を上げる試みが、同時にスピードトレーニングにもなる。
刺激をただ虚空に霧散させてしまうのでは勿体ない。たとえば「すごいなあ。」で終わって、忘れてしまうような。