松田久一『「嫌消費」世代の研究 ― 経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち』

本書にて論じられるところの「バブル後世代(1979〜83年生)」にどんぴしゃ当てはまる1982年早生まれの鈴木が、自分(たち)のことを知るために。そして広告に携わる人間として今後の仕事や生き方について考える契機とするために、アマゾンでポチッと購入。こういうことには金を使える世代ってことか?


本書の結論(仮定?)は帯にもどーんと書かれてるとおり、要は「この世代って昔みたいに車とか買わないよねー」で、「どうやら『金が無いから買わない』ってだけじゃなくて、世代特有のメンタリティが理由っぽいよ」ということである。で、ページのほとんどがいかにこの仮定が正しいかをいろんな考察や分析から証明しようというプロセスに割かれており、これ以上の目新しい視点や提案を見せることはほとんどない。そういった面ではちょっと物足りないというか、読む労力のわりにリターンは少ないな、という感想。ちょっと残念。

未来を見通しづらい現在、その手法としての世代論というアプローチは、個人的には大いに結構と思う。その正しさの検証が妥当かどうか俺は判断できないけれど、ある程度信じるに足る考え方であるように感じる。
で、まさにその論じられる世代の当事者として、率直に反論したいことは山ほどある。実際かなりムカつく記述が多いし、ウェブ上のレビューにもそのような意見が散見される。けれども、これまでの「世代の発見」がそうであったように、離れた立場からでなければわからないこともまた、山ほどあるということを私たちは認めなければならない。実体はいつも、他との差異・他からの違和感によってあぶりだされる。なので、ここはつとめて冷静に(かといって口を閉ざすべきとも思わないが)。
そんなこともあって残念なのは、著者が「自分は1956年生まれの断層世代で、その立場から論じている」という姿勢を(末尾近くで語ってはいるものの)示していないこと。もっと本の冒頭で、なんなら随時繰り返し、表明してほしかった。そうすればもうちょっと無益な反感を抱かずに、気持ちよく読めたのに、と思う。
さらに言えば、「世代論はそれなりに妥当」と感じている一方で、「今後は通用しなくなっていくんでないの?」という漠とした予感を私はいだいてしまった。というのも、世代について語る際に(本書においても)登場する「誰しもが〜」といった意識(あるいは気分)が、持ちづらくなるだろうから。「インターネットでカンタンに例外が見つかる」状況において、「誰しもが」は稀薄になっていくのではないだろうかと思うのだ。もし世代の意識や気分をつくってきたのがマスメディアなんだとしたら、なおさらに。
とはいえ、例えば「成長・発達過程の同じような年齢において同じ体験をする(社会的事件や価値観の変化など)」ことがある種の同質な意識を持った集団をつくる、という部分についてはまあわかる気もするので、ゼロではないだろう。ただ「薄く」なるようには思う。


さて、消費ということに関して個人的な実感を元に書いてみる。
著者が指摘するようなバブル後世代特有の「強い劣等感」や「他者を気にすることに起因するネガティブな同調圧力」は、実感としては正直あまりピンとこない。口コミを利用するのは、それが便利だからだし、正しいことが多いからだし、ひいては信頼できるからであるから(と、少なくとも思っている)。裏を返せば、売り手や広告や提灯報道が信用ならないことに我々は気づいてしまっているので、結果、合理的な購買の判断素材として口コミを利用しているに過ぎない。

我々は、自分たちの消費スタイルが「最も正しく」「最も賢い」と、かなり本気で信じている、と少なくとも私は思う。おそらく、団塊や断層世代の方々がご自身の消費スタイルをそう信じているように。なので、例えば本書のタイトルである「嫌消費」は「前時代の消費こそが『通常の消費』」という前提の語だけれど、私は自分の消費スタイルが「嫌消費」だとは思わない。「消費」、それも「正しく賢く合理的で楽しい消費」だと思っているし、「あなたたちのほうが『過剰な、空虚な、無駄な消費』なのではないの?」と思う。
著者も記すように、結局ポジショントークは逃れ得ないのである。お互いに。ゆえに私が著者に望みたかったのは、もっとロングスパンでの世代分析だ。今生きている人間だけでなく、もっと昔からの。そうしたら、どっちがヘンなのかはわかるかも、ひょっとしてどっちも同じくらいヘンなのかも、ということがわかるかもしれないから。
ただし、ひとつ言えるとすれば、それは「現在の企業活動・経済活動は、いわゆる『まっとうな消費』を前提に考えられ、設計され、運用され続けてきたし、今もそう」ということだろう。だから企業側とすれば「買ってくれない世代にいかに売るか」は、死活問題である。
ここが、自分でも大きな矛盾を抱えていると思うが、ここにおける私の至極率直な感想は

「だって本当は要らないんだから、そんな企業は潰れちゃえば?」
「ムリして成長を続けなければ成立しない経済なんて、やめちゃえば?」

である。他人事のように書いてるけれど、もちろん他人事ではない。私の日々のごはんに直結する。企業がもうからなければお給料はもらえず、今の生活システムではごはんが食べてゆけない。そのうえ生業は広告業だ。けれど、率直な感想といえば、この通りなのだ。
だって、どだい今までが、ムダが多すぎたんだって。必要のないものを、ムリしてあおって買わせてただけなんだって。みんな酔っ払ってただけだったんだって。それを「本来の姿」と定めることのほうが、異常なんだって。と。
嘘や虚飾や演出がどんどん暴かれ、剥ぎ取られ、本当のことがむきだしになる時代に我々は生きているのだと感じている。そして、それはもっと加速するべきだと個人的にも思っている。平たく言えば、我々は既に「醒めて」しまっている。もう戻れないと思う。いちど白けてしまった以上、ここから再度、妄信的な熱狂を得るのは困難だ。極端なたとえをすれば、60億人のうち1人でも「王様は裸だ!」と叫んだなら(それも匿名で叫べる)、たちまち世界は気づいて、醒めてしまうのだ。いまや。
それに、人間の肉体的限界や地球の物理的限界がある以上、「ずっと成長し続ける」ことがあり得ないことに、みんなもうとっくに気づいているだろう。とはいえ「少なくとも自分らが死ぬまでは大丈夫」という先送り楽観態度を、2010年に28歳になった私・鈴木は、もう採用できない。「このままのフレームの中で、自分が死ぬまで逃げ切れる世代ではない」ことをとても強く意識しているし、危機感を抱いている。
だから私は、私を今雇ってくれている方々や仕事をくれている方々ではなく私自身は、この後の稼ぎ方を、ごはんの食べていき方を、生き方を、考えてゆかなければならないのである。このへん、今は答えが出そうにないので【問題意識】という形質のまま自分の中に埋めておくことにする。


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とりあえず、思ったところはこんなところ。“契機として”とてもいい本だと思った。読んでよかった。みんな、どんどん読んで、どんどんアクションすればいいと思う。ただし、できるだけ冷静に。特にドンピシャ世代。ほんとムカつくから、この本(笑)。
あと、できれば他の世代(団塊や断層でもなく、バブル後でもない)方々の所感を読んでみたいなあ。

「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち

「嫌消費」世代の研究――経済を揺るがす「欲しがらない」若者たち