古山浩一『鞄が欲しい』


エイ文庫。札幌市中央図書館にて資料探し中、うっかり目に留まってしまい衝動借り。副題は「万年筆画家が描いた50のカバン遍歴」。この著者のことをよく存じ上げなかったのだけれど、鞄マニアとしては有名な方のよう。
万年筆画家の著者による、鞄の絵の数々。すごく味があって素敵である。人ひとりひとりの暮らしにぴたっと密着してそこにあり続ける、プロダクトとしての鞄。鞄そのものはもちろんいいけれど(実物を見たことないものがほとんどだけれど)、この絵自体もすごくいい。ずっと見てても飽きない。
そして、狂おしいまでの鞄愛に満ちたエッセイたち。愛に満ちすぎておかしくなっているほど。たぶんわざとやってる部分もあるだろうけれど、やりすぎである。面白いからいいんだけど、それにしたって鞄に人間の生の全てが凝縮されているかのような物言い。ある面で正しいだろうけれど、それは言い切りすぎなんでないの?という箇所しばしば。佐藤可士和の「手ぶら推奨」の話にも共感する私としては、ガンガン物を入れて持ち歩こうぜ!的な姿勢を全肯定もできずに正直複雑な気持ちを読んでいるうちは抱きつつ。
でも、読後に考えた。つか、いま書きながら考えた。いいんである。
確かに手ぶらの開放感は素敵だ。フットワークも軽くなる(物理的にも精神的にも)。けれど鞄を持っていたって、それがきちんと「用の美」を備え、持ち歩く必然性を完璧に有してさえいれば、フットワークの軽さと両立できるはずなのである。そして本書で紹介されている鞄たちには、みなそれがあると思う。
余計な荷物は持たない。手ぶらでいいときは手ぶら。必要があれば、本当に自分にぴったりよりそうものだけを軽やかに持ち歩く。鞄の中身しかり、鞄それ自体しかり。それこそ可士和の整理術よろしく「自分に必要なモノは何か(持ち物にせよ、歩くときのスタイルにせよ)」を洗い出し、問いただし、並べ替え、削ぎ落とす精神はそのままに、理想の鞄を模索。もちろん、鞄のプロダクトとしての魅力もフットワークを軽くする大切な要素として考えながら。ああ、素敵だ。鞄ってほんとうにすばらしいものですね。
ちょうど鞄が欲しいなあー、でもなあーと思ってた矢先にまんまと読んでしまったので、超すごく鞄が欲しい今。ああ、吉田の赤バッテンのショルダーが欲しい!きっと俺の理想にぴたりとくるはずなんだ!たぶん!

鞄が欲しい―万年筆画家が描いた50のカバン遍歴 (エイ文庫)

鞄が欲しい―万年筆画家が描いた50のカバン遍歴 (エイ文庫)