向田邦子『父の詫び状』

しばらく本を読んでいなかったので、書店で5冊ほどまとめ買いをしてしまった。とはいえ私は読書が好きなのかといえば、実のところよくわからない。例えば私の連れ合いなどは、だいたい一日か二日で一冊の推理小説を読み終わってしまう。そしてすぐに次の一冊へと移る。翻って私は今年の目標を「年間五十二冊読む」と定めている通り、せいぜい一週間に一冊が関の山で、読むのがとても遅い。読み続けているとしんどくなって、すぐに休憩したくなってしまう。「好きか?」と問われれば「まあ、嫌いではない」。「楽しいか?」と問われれば「楽しいときもあるが、しんどいときの方が多い、かも」。こんなところか。
じゃあ読まなければいいとも思うのだが、やはり私は本を読まなければという、なかば強迫観念めいたものを持っている。それは知らないことが本にはたくさん書かれているからで、知識・雑学的にもそうだけれどそれだけでなくて、漢字や、言い回しや、展開や、機微や、読んだことによって自分の中にぐるぐるとうずまく得体の知れない感情だったりする。読みながら頭では全然ちがうことを考えてしばらく時間が過ぎることもある。
さて、本書『父の詫び状』は、雑誌『ブレーン』先々月号のコピー特集で、複数名のコピーライターが推薦していたので購入してみたエッセイ集である。最初のうちは「やけに話がコロコロと飛ぶな」とか「父親の話ばかりだな、てゆかこの父親はひどく腹の立つ人物だな」とかが気になってあまり楽しくはなかったのだけれど、だんだんとそれにも慣れてくるとじわじわとよくなってきた。薄い味の汁をひたすら薄いと飲み続けているうちに遠くの方にある旨みを発見するような、そんな体験である。書かれている情景はもっぱら作者の幼年期〜青年期、戦前〜戦中〜戦後間もないあたりが主なのだが、文章が固すぎず、古すぎず、それでいてソツがなく、チャーミングなあんばいの崩しやスキがあり、知らない言葉や漢字もいっぱい出てくる。「ああ、たしかにお手本とするにはよい一冊だな」と思った。作者は言わずと知れた放送作家であり、だからこそ話し言葉を主体にした、滑らかで読みやすい文章が書けるのかなあと思った。解説が沢木耕太郎で、とってもうまくまとめてしまっていてよかった。
ああ、やっぱりたくさん本を読もう。いろいろなことを自分の中にためよう。インプットを上げてアウトプットも上げよう。書を捨てずに町へ出よう。

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)