スッキリするリスト

仕事にせよプライベートにせよ「で、次なにやりゃいいんだっけ?」とぐるぐる悩むことの多いここ最近。悩むばかりで手が動かずにつのるモヤモヤ。モヤモヤして暫く経ってからやっと「そうだ、ToDoリストを作ればよいのだ!まずはそこからだ!」と気づく(遅い)。頭ん中でわかんなくなったらまずは書き出すことである。これ基本よね。
で、作る。手帳に書き出しまくる。パソコンのディスプレイの横に貼りまくる。悩んでいるだけで何もしないよりはマシである。当面のやるべきことが明確になる。
しかしながら、これだけでは足りないのではないか。眼前に立ちはだかりしはToDo。往々にしてそれは大量の。やるべきこと。しなければならないことである。正直これは気が進まない。重めのToDoが数日残って、余計にブルー。再び加速するモヤモヤ。項目を見直そうが細かく刻もうが、ダメなときは本当にダメである。
そこで奥の手「気の持ちよう」である。ToDoリストと呼ぶから気が進まないのである。そもそも何だよToDoって。語呂の良さは認めるけどさ。しなければならないことではない、すなわち「これをやればスッキリすること」のリストだと捉えるのである。ToDoリストではなく、スッキリするリスト。これをやればスッキリすることが明確だなんて、なんて素敵なリストだろうか。安易に「スッキリスト」とか語呂に逃げないのは「スッキリする」の動詞形にこだわりたいからだ。
そもそもGTDでストレスフリーとかいう考え方の基本ってこういうところだと思うしバブルマップなどはそのへんをよりわかりやすく工夫した例だと思うのだけれど、今の自分にとっては、まずはこんなところの気の持ちようが重要な気がする。これでバシバシ手を動かすのみ。さすればスッキリが我が胸に。やれるはず。
さあさ仕事だ。24365自分の時間、と。よいしょー。