遊ばなくちゃだめですか

北山 (…)優等生よりも、若いころにお前はだめだねって言われてきた人の方が面白いです。
菱川 一時期、まわりに暴走族上がりが多かったときがありましたよ。面白い奴に話を聞くと、「お前も走ってたの?」みたいな(笑)。その時代に不満があったから走っていたというか、不満を放っておけないだけ、熱があるんでしょうね。
土屋 逆をかえせば、こんな時代だからこそ、出てくる奴はすごい感性を持っているのかもしれない。
北山 どの年代でも、遊んでいる人の方が面白いし色気があるね。無駄なことや、めちゃくちゃなことをした経験が生きている。最近、いろいろなことが清潔で合理的で気持ち悪いですよ。自由がすごくなくなっていると思う。(…)


青山デザイン会議「伝わるプレゼン術」北山孝雄、土屋敏男日本テレビ)、菱川勢一(『ブレーン』2008年6月号 P27)

このような類の言説をしばしば目にするたびに、わたしは悲しい気持ちになる。なぜならわたしは、これまでに遊んでこなかったからだ。お前はだめだねって言われてこなかったし、優等生だったし、暴走族の経験はない。無駄なことやめちゃくちゃなことも、あまりしてこなかったように思う。
たしかに彼らの言うことには一理ある。納得もゆく。遊び方を知っている人はかっこいい。人生楽しそうだ。いろんな経験(内的な感情の盛り上がりを含む)は、きっと仕事にも役に立つだろう。そんな人の方が面白いし色気もあろう。わかる。正直うらやましい。
けれど、じゃあ、ろくた遊ばずに今まで生きてきてしまったわたしは、これからもつまらない人間でいるしかないのか。何かをつくったり新しいことをすることをあきらめなくてはいけないのだろうか。なぜわたしは今まで遊んでこなかったのだろうか。そうした思いがごちゃまぜになってどうどう巡り、わたしはやるせなく悲しい気持ちになるのだ。
そうこうして20代も後半に入ってしまったわたしは、今後どうしてゆくべきだろうか。一つは、今からでも遅くないから遊び始めるということ。これはぜひともそうしたい。あっちこっちにフットワーク軽く(なおかつ家庭を軽んじることなく)顔を出して色んな人とあって色んなことをする。これはぜひともそうしたいのである。
しかしもう一方で、別に遊んでこなかろうがなんだろうが、それでもやっていけるし面白い人間たりえるし人の心を動かす素晴らしい何かを作れるんだぜってことを証明したいのである。わたしだって、わたしなりに、いろんなことを感じ心を動かし動かされてきたのである。今まで遊んできた手前ら、なめんじゃねえぞ、こんにゃろう!