なにがすきなんだかな

自分は何を仕事にしてごはんを食べてゆこうかなあと最近よく考える。言葉を仕事にしたいといっても色々ある。広告コピー、雑誌の記事、小説、俳句、エッセイ、脚本、などなど、どれもぜんぜん違うものだ。考えるうち、なぜ自分は言葉を仕事にしたいのだ。なぜ自分は書きたいのだ。という自問に立ち止まり、そこに仕事論や年齢なんかが絡み合い、そして悶々とするばかり。
いま思っているのは、「好きなことで飯を食っていきたい」と思っている人の「好き」と、「好きなことで飯なんか食っていけない」と言う人の「好き」と、「好きなことで飯を食っている」人の「好き」は、もしかしてどれも微妙に違うんじゃないだろうか。ということ。この仮定から考え始めてみようかなというところ。