町田康『供花』

ずいぶん以前に読みかけで放置していたのを頭から読み直し。職場行き帰りの地下鉄で、いちいち意味とかなんかいろいろ考えると疲れるし面倒臭いのでさーっと読んだ。コトバの新しい組合せの発見や刺激なんかを得るために詩集をこういう読み方するのはよいのかも。具体的な地名とか。北海道の地名でも有効かなあ(昔「篠路」という絵を見てずいぶんグッと来たものだ)。深く考えない。物語の展開の参考にはならないけれど。あー、小説読みてーなー。四月は小説月間にしようかな。
好きだった詩タイトルとフレーズ列挙。「茶ァ飲みに行けへん?」おまえの信仰の「頭の中のかゆみ」酒は潤沢「どてらい男又ら」電車に乗ろう「受肉」あ 俺は生きよう「俺は祈った」ピーという発信音の後で「もやの中」明日の米代「生きる価値」余地「あと二合」快楽のプレス音「あわてふためいた」この夕方に私は終了する「陽気な男又」それでも百円足らぬとき「官許あり」アラームをセットしなおし「主題」べらぼ「雪の哄笑」くわっはっはっ「仕切場のチキン」これは展開が「夕涼み」ウイスキーの噴水「面桶問答歌」ふぅん「鮭とけんちん汁」飯を食ったら本を読もう「じゃが芋と人参の素揚げ肉みそがけ」みその値段を妻に問いただし/あまりの安さに驚がくしている「野菜のオムレツ」オムレットとコトレット「片腹痛いわ」猫が眼前で跳躍
ところで巻末の解説もなかなか面白かった。意味とか異化とか意味から離れるとかわけわかんなくするとか、道具としての言葉とか、そのへんから離れた言葉とか。アウラみたいなことなのか?うーん。味わうためには不要な考えだけれど、書くためには必要な視点かもな。

供花 (新潮文庫)

供花 (新潮文庫)