コミュニケーションはエロスだ。

「女房を酔わせてどうするつもり?」というお酒のコマーシャルが大好きだ。あれはやばい。「女房」っていう若干しみったれたような言葉に「酔わせて」んでもって「どうするつもり?」て。大人のいやらしさ濃縮されまくり。どうするつもりて、お、おま、おまえ、ききききまってるじゃないか!ゆり子!ああ、おれはいま、なんてことを。取り乱してしまうほど、あれはやばい。
広告はコミュニケーションであるという。人の目をひき耳をそばだてさせるため、そのうえ心をぎゅんとさせるために、いやらしさなるものは非常に有効である。むらむらとくるあの普遍的な感覚がある人の心を衝き動かし、衝き動かされた心がまた隣の心を衝き動かすという連鎖。その交感がコミュニケーションであるならば、コミュニケーションはエロスだ。エロスなコミュニケーションに満ち溢れる人間社会。なんてすばらしい社会。捨てたもんじゃないぜ21世紀も。
職場の先輩との他愛もない会話の中でふと登場した「コミュニケーションはエロスだ」なるフレーズ、ぜったいどこかのだれかが言ってるだろうと思ってググってみたが出てこなんだ。せっかくなのでウェブの大海に一石ほうりこんでみんとて、適当なことを言ってみんとす。日本語のコミュニケーションが僅かでも豊饒になりゆくことを願って。